熊本地方裁判所 昭和31年(ワ)256号 判決 1956年7月24日
原告 小川ヒロ
被告 村上幸八
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は被告は原告に対し金四十四万五千円及び之に対する本件訴状送達の翌日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え訴訟費用は被告の負担とするとの判決並に保証を条件とする仮執行の宣言を求めその請求の原因として原被告は夫婦として同棲してきたが昭和二十八年一月中事実上の離婚を為して別居し-その後同年二月二十一日被告は原告に無断で離婚の届出をした-今日に及んでいるところ、偶々昭和二十四年中訴外株式会社銭高組は熊本市下通町不二百貨店(訴外松永己芳経営)より原被告が駒借を希望していた同百貨店の増改築工事を請負いその工事を進行中資金難に陥りその運営資金として原被告に対し金四十万円の貸与方を申入れてきたので原告は義父に当る訴外松下儀太郎より右金員を借用した上被告名義を以て同会社に対し弁済期を定めず月一割の損害金を支払うべき約定で貸与した。ところが同会社は右金員の返済をしなかつたので原告は昭和二十五年十一月九日同会社を相手取り被告名義を以て貸金の訴を提起し同庁昭和二十五年(ワ)第六二二号貸金請求事件として繋属中原被告は前記のように離別することになつたので被告は事件の最も有力な証人である原告を証人として申請するに忍びず保留していたが該事件が愈々終結に近づくに及び被告は原告の証言を得なければ不利の立場に陥ることを惧れ訴外竹島重男、同早川清一両名を数回に亘つて原告方に遺はし原告に対し証人として出頭方を懇請し結局右両名は該事件の原告(本件被告)訴訟代理人であつた弁護士も立会の上、被告の代理人として原告が証人として出頭し証言をすれば同事件が勝訴となつた場合勝訴額から費用を差引いた残額の半額を原告に支払うべき旨確約したので原告も之を承諾しその後証人として出頭し事実の証言をした。その結果被告は昭和三十一年一月五日該事件につき勝訴の判決を受けその金額九十九万円の中九十八万円を既に現金を以て受領しながら原告に対し約旨に基く金員の支払を為さない。右事件の費用としては弁護士の着手金三万円は原告が支払つているので成功報酬金を一割以上とみても金十万円が至当であるので残額八十九万円の半額四十四万五千円は被告が原告に対して支払うべき義務がある(尚その他の訴訟費用は別途訴訟費用確定決定の申請をして請求する権利があるので本件金員の計算外である)仍て右金員及び之に対する本件訴状送達の翌日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求むるため本訴に及んだと陳述し原告の主張に反する被告の答弁事実を否認した。
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め答弁として原告の主張事実中原被告が曽て夫婦であつたこと及び昭和二十八年一月中事実上の離婚を為し同年二月二十一日その旨の届出を了したことはこれを認めるがその余の被告の答弁に対する部分は全部之を否認する、被告は昭和二十五年十一月十日株式会社銭高組を相手取り当裁判所に出資金等請求の訴(昭和二十五年(ワ)第六二二号)を提起し係争中一旦原告を証人として申請したが原被告間に感情の衝突を生じ前述のように離婚の運びとなつたので昭和二十九年六月三日の口頭弁論期日に原告に対する証拠方法を抛棄し同日弁論を終結し判決言渡期日は同年六月三十日と指定されたが昭和二十九年十月二十二日弁論再開となり右事件の被告銭高組は同組の事件当時の熊本出張所松村吉之助を証人に申請し同証人は昭和三十年六月二十一日証人として訊問されたところが銭高組訴訟代理人は本件原告小川ヒロを証人に申請したので被告代理人は「小川ヒロは被告の妻ではあるが目下離婚訴訟が係属中で本件において村上幸八を不利にするために故意に虚偽の陳述をする虞があり且つ既に時機に遅れた防禦方法であるから右申出は却下されたい」旨異議の申立をしたが裁判所は右申出を斥け小川ヒロを証人として採用した。ところが原告(小川ヒロ)は証人として採用されたのを奇貨とし村上幸八の訴訟代理人或は友人に対し人をして又は自ら「自分は今度銭高組より証人に申請された。銭高組は自分の方に有利に証言をしてくれれば莫大な謝金を出すよう申込んできた。自分は金は欲しいが虚言を言つて皆さんから小川ヒロは金のため裏切つて偽証をした卑しい根性の女だとは思はれたくない然し金は欲しいから村上の方で金を呉れれば真実を述べる、若し金を出さねば不得己銭高組に有利な証言をして金を貰いたいがどうか」と再三恐喝的に申入れてきて返答を迫つたので協議の結果恐喝に応ずるのは残念であるが小川ヒロの証言如何により若し敗訴にでもなれば元も子もなくなるので已むなく「村上幸八に勝訴の判決が確定したときは訴訟に要した一切の費用を差引いた残額の三分の一を与える」旨返答し且つ訴訟は銭高組が相手であるから控訴上告に移行することも考へられ確定までに費用が何程に達するかは不明であるから小川ヒロ宛の銭高組に対する債権譲渡証及び債権譲渡通知の内容証明郵便を作成しておき譲渡すべき金額及びその年月日は不明であるからこれを空白となし右書類は村上幸八の訴訟代理人である川野浩において之を保管することとなつた。ところが右訴訟は村上幸八の一部勝訴となり同人は直ちに控訴し之に対し銭高組においても附帯控訴をしたので目下福岡高等裁判所昭和三十一年(ネ)第六七号事件として係争中であるから前記契約に基く原告の債権は未だ履行期が到来していない尤も村上幸八は右一部勝訴の仮執行宣言付判決に基き保証金を供託して銭高組に対する債権の差押転付命令を受け一応九十九万円を得たが事件は前記の如く控訴審に繋属中であるからその結果は予測し得ないのである。然るに原告は被告の右金員受領の事実を知り前記約束の履行を迫つてきたが履行期未到来の理由で拒絶したところ再三執拗に要求し果ては脅迫がましい言動にまで出てくるので金五万円を与え且つ前記債権譲渡証及び内容証明書を交付して前記約束の証拠として提供した。叙上の次第であるから右契約は(一)原告の被告に対する強迫による意思表示であるから茲に本訴において取消の意思表示をする、(二)裁判所において証人として真実を供述することを条件として金員の供与を約するのは明かに公序良俗に反し無効である(三)仮に然らずとするも前述の如く右訴訟事件は未だ控訴審に繋属中で判決は未確定であり従て履行期は到来していない仍て本訴に応じ難いと陳述した。<立証省略>
理由
原告が当裁判所昭和二十五年(ワ)第六二二号原告(本件被告)村上幸八被告株式会社銭高組間の出資金返還及び損害賠償請求事件について証人として訊問を受けたことは当事者間に争がない。而して原告が本訴において請求原因とし主張する事実の要旨は原告が証人訊問を受くるに際し被告は「若し原告が証人として出頭し証言をすれば同事件が勝訴となつた場合勝訴額から費用を差引いた残額の半額を原告に支払う。」べき旨確約したので原告も之を承諾しその後証人として出頭し事実の証言をしたところ勝訴の判決を受けたので右約旨に基く金員の支払を求むると謂うに在る、然し証人として裁判所より呼出を受けた場合裁判所に出頭して真実の証言をすることは国民の義務であつて法律に別段の定ある場合の外は何人も之を拒否し得ないところである。然るにこの当然の義務の履行を条件として金銭の供与を約するのは換言すれば証人として裁判所の呼出に応ぜず又は出頭して訊問を受くる際真実の供述を為さないというような不法行為を為さないことを条件とするに等しいのであつて民法第百三十二条により到底その効力を認むるに由なきものと謂わねばならない。
加之原告の所謂「勝訴となつた場合」とは勝訴に確定した場合と解するを相当とすべきところ-斯く解するに非ざれば被告に果して金員支払の義務ありや否やすら確定しないのみならず勝訴額より控除すべき訴訟上の費用額が不明であつて金額の算出も不能である。
前記訴訟事件が現に福岡高等裁判所に繋属中であることは成立に争のない乙第一号証の記載に徴し明かであるから未だ条件の成否が未確定であると認むるの外なく従て仮に前記契約が有効であるとしても未だその効力を生ずるに至らないものであることは明かである。
何れにせよ本訴原告の請求は爾余の争点に関する判断を俟つ迄もなくその失当ないことは明かであるから茲に之を棄却し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 堀部健二)